やり込みの定義

皆さんこんにちは。くるるです。今回は号外として、以前お話したやり込みについて、言い残した事というか、そういう話をしようと思います。ちなみにサブタイトルは「本当の意味でのやり込み2」です。

前回の記事を読んでいない方は「本当の意味でのやり込み」を先に読んでおくと良いかもしれません。


本題に入る前に…

まず最初にエッセイの更新を楽しみにしている方に謝っておかないといけませんね、すいません(苦笑)。とりあえず現状ではディスガイアのリプレイ日記エトナ編が終わるまでは更新できません。というか、基本的に文章系2つ同時更新は無理なんで、リプレイ日記とエッセイは、必ずどちらかしか更新できないというのをご理解ください。

そんなわけで今のうちはリプレイ日記の方を楽しんでいただければ幸いです。それでは本題に入りましょう。


前置き

実は以前の記事への感想が未だに送られてきます。通常のエッセイと違い、このやり込みに関する記事への感想は、一言感想が非常に少なく、皆さんさまざまな意見を出してくれているのが特徴です。その文章の中で、どうやら前回の文章で伝わっていなかった(というか話してなかった?)と思われる部分があったので、今回の記事を書くことにしました。


やり込みと難易度

やり込みプレイヤーを自称する人たちの間では、難易度の低いプレイはやりこみではない、という共通の認識があるように思います。そしてそれは別にかまわないと思います。それこそが、その人たちにとっての「やり込み」だからです。

しかし、だからと言ってそれを他人に押し付けるのはどうなんでしょうか?自分の考えを基準にして他人を批判するのは正しいんでしょうか?私はそうは思えません。


やり込みプレイと目的

やり込みプレイには、ある程度の目的があります。高難易度制限プレイ、タイムアタック、スコアアタック、隠し要素フルコンプリート。もっともコンプリートは前回の記事でやり込みとは言えない事はお話しましたが、しかしこういうプレイだけがやり込みなんでしょうか?

やり込みについて、確かに前回「自分で目標を見つけて挑戦することだ」と書きました。しかしまた「目標のないやり込み」も存在すると思います。あえて前回に倣うのであれば「ゲームをプレイする事自体も目標となりうる」とも言えます。


やり込みの定義

私はやり込みとは人によって意味の変わる言葉だと思っています。正義という言葉の意味が使う人間によって大きく異なるのと同じです。しかし、正義とは「自分が正しいと信じている事」であるように、やり込みにも普遍の定義があるはずです。

私はやり込みの定義を「自ら進んで繰り返し行うプレイ」と考えています。目的、目標は人によって様々です。求める難易度、結果の有無、求める賞賛も人それぞれです。しかし自ら進んで「楽しんで」繰り返しプレイするのであれば、それは十分にやり込みといえると思います。

なんだか知らないけど何回もプレイしちゃうんですよ
もう20回ぐらいクリアしました。でも制限プレイとかはやった事ないです

そんなあなたは十分にやり込んでいると言えます。プレイの内容ではなく、そこまで相性の良いゲームに出会えた事、そのゲームで楽しい時間を過ごしている事を誇って下さい。

隠し要素全部出さないと気がすまないけど、1回プレイすると飽きます
やり込み要素が多いゲームが好きですが何度もプレイする事はほとんどありません

そんなあなたはやり込んでいるとは言えません。そもそも消化プレイはやり込みとは関係のない物です。はっきりと言ってしまえば、あなたが好きなのは「やり込み」ではなく「穴埋め」です。隙間症候群(テトリスシンドローム)とも言えるでしょう。私も穴埋めプレイは大好きですが、それを「やり込み」とは思っていません。なぜならやり込みとはその先にある物だからです。

そもそもやり込みと言えない物に対して「やり込み要素」と名づけたメーカー側に問題があるように思います。売り文句として定着してきた今、その意味を考える必要があるでしょう。ゲーマーを取り巻く環境は悪化しているかもしれません。今ゲーマーに必要なのは、どのゲームが自分と相性が良いのかを見極める「鑑定眼」なのかもしれません。

なんか話がそれました。閑話休題。


やり込むという事

恐らく今回の記事には賛否両論あるでしょう。でもそれで良いのです。やり込みの意味は、それこそゲーマーの数だけ存在すると言っても過言ではないのですから。ですが他人から強制されたプレイ、楽しくないプレイをやり込みと呼ぶのは、個人的には違うと思います。

結局、私が言いたい事は「楽しくなければやり込みではない」って事です。

というか、過去形?なのかもしれません。楽しんでプレイしてたら「いつの間にかやり込んでいた」。それが「やり込み」という言葉の正しい使い方なんじゃないでしょうか。

私は自分がプレイしたゲームを振り返ると、やり込んでいるゲーム=好きなゲームという図式が成り立ちます。しかも好きさの度合いとやり込みの度合いは比例しています。

つまりは、そういう事なんじゃないでしょうか。やり込むって事は、そのゲームがどれだけ好きかという証明なのかもしれません。


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