リアルな映像で下がる想像力

皆さんこんにちは。くるるです。今回は映像の質と想像力のお話です。


リアル映像の弊害2

以前、リアルな映像がゲームの質を下げているという記事を書きましたが、リアルな映像が生み出した弊害はそれだけではありません。映像技術の進化によってプレイヤーの想像力も比例して低下していると言って良いと思います。


昔のゲームと想像力

昔はゲーム機の性能も低く、画面上で表現できる情報も少なかったため、プレイヤーにはある程度の想像力が要求されました。逆に言えば想像力が豊かであればあるほど、ゲームを楽しむ事ができたと言っても良いかもしれません。

RPGなどではどのゲームでもキャラクターの見た目は似たようなものでしたし、町の住人なども役割程度の違いでしかグラフィックが変わりませんでした。これは当時画像がもっとも容量を圧迫するデータだったため、グラフィックを減らす=容量を節約という図式が成り立っていたためです。そのため細部はプレイヤーの想像力によって補われていました。

3DダンジョンRPGではプレイヤーグラフィックが表示される方が稀で、基本的には名前とパラメータの情報しかなかったため、主人公の容姿などはプレイヤーの好みでどんな姿にもなれました。

アドベンチャーでは画像の比率が高かったものの、主にメッセージによる解説の方が主であったため、ある程度の想像力は必須だったといえます。

当時のプレイを振り返ってみると、特に意識して「想像」していたわけではなく、自然とそういうプレイになっていたように思います。むしろ想像もプレイの一環であり、想像する事もまた、ゲームを楽しむ材料だったと言えます。


リアルな映像と想像力

前回も話したように、最近は映像進化に主眼を置くゲームも増えてきました。もっともゲーム機自体がそういう進化をしてしまったために、ゲームもそれに習うしかなかったのかもしれませんが。

ただ映像がリアルになってくると、想像力が入り込む余地がなくなっていきました。今まで単なるドット絵で表現されていたものがポリゴンに変わり、平面だった世界が立体化され、世界がより現実的な雰囲気を出すようになると、逆にあるべき物がない、あるはずのないものがある、などの矛盾も目立つようになってきました。

過去のゲームであれば森は単なる「森」というマップパーツで済んだものが、ポリゴンでは木が立体化されて表現されます。その結果、森であるにもかかわらず草が綺麗に刈り揃えられた「平地」に、直立した枝の少ない木が転々と生えているという、なんとも気味の悪い森が当たり前のように出現してきました。しかも世界中どこに行っても同じ木しかありません。

主人公キャラにもグラフィックが付き、自分でキャラクターを作るゲームでは顔グラフィックなどを選ぶ事ができるようになりました。しかし、それは一部のユーザーにとっては良い事でしたが、用意されたグラフィックを「使わない」という選択ができないため、逆に決まった見た目のキャラしか作れない=プレイヤーの想像力の邪魔になるだけという、プレイヤー層を狭めるだけの結果しか生み出さなかったと言えます。

こういったゲームが増えてくると、当然プレイヤーも想像する事が少なくなっていきます。最近では最も質の良いゲームを基準にして、若干の矛盾も「技術力が低い」と文句を言う人もいるようです。足りないのはメーカーの技術力ではなく、プレイヤーの想像力とゲームを楽しもうという心の余裕だと思うんですが…


まとめ

ゲームは楽しむものです。どんなに面白いと評判のゲームでも楽しめなければ面白くありません。逆にどんなゲームでも楽しもうと思えば面白さは見えてくるものです。そして楽しむためには想像力は必要だと思います。

前回レビューした「幻霧」などは、現在でも想像力全開で楽しめる数少ないゲームです。ポケモンもこの「想像」が面白さを支えていると思うんですよ。昔から変わらない世界だからこそ想像の入り込む余地があり、想像できるからこそ楽しめる。そんなゲームをこれからもプレイしていきたいなぁと思います。


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